2019年6月27日木曜日

「松郷屋焼 岩室の窯展」岩室地区公民館にて開催中

松郷屋焼展会場

西蒲区の岩室地区公民館にて「松郷屋焼 岩室の窯展」がはじまりました。会期は6/27〜7/4です。

展示会場で配られている資料にもとづいて、以下、わたしが要約したものを記します。

「松郷屋焼」とは、幕末から明治、大正、昭和にかけて西蒲区旧巻町の松郷屋で焼かれた焼き物のことです。ただ同じく角田山麓の周辺地域にも8ヶ所の窯が確認されており、それらを総称して松郷屋焼と呼ばれています。

安政4(1857)年に阿部勘九郎がはじめたものです。万延元(1860)年には松郷屋焼の代名詞ともいえる「焼酎徳利」の生産がはじまります。

北前航路を利用して、北海道に多く運ばれました。とくに沼垂(新潟市中央区)の酒造家からの注文が多く、広井家文書によれば、明治13(1880)年頃には年3万本の注文があったようです。松郷屋全体では24〜25万本が生産され、最盛期を迎えます。

その後、北海道でも馬鈴薯を原料とする焼酎の生産が始まったことや、ガラス瓶が普及してきたこともあり、松郷屋の焼酎徳利の生産も減少していきます。明治34(1901)年頃には生産がストップ。

それからは焼酎徳利で培った技術を活かして、日常雑器や土管、瓦が生産されました。さらに時代が進むと、ほかの窯業地の製品に押され昭和23(1948)年に(松郷屋地区の)石沢窯が燃料不足により廃業し、松郷屋焼の火は消えました。

岩室地区でも夏井や岩室温泉地内に窯があり、湯山や丸小山公園付近から土を採取し、湯治客の風呂を焚いた灰を集めて釉薬として使ったとも記録されています。また燃料となる赤松林があったようです。

資料からの情報は以上です。詳細はぜひ展示会場にて!

今回の展示では地域内外から集められた約160点が展示されています。西区内野の「鶴友会博物館」の協力も大きいです。

どれも日常生活で使われることによってみがかれる「用の美」を備えた焼き物と言えるのではないでしょうか。

ぜひお出かけください。

チラシ

公民館入口

個人蔵の徳利。わたしは色、形はこれが一番好みだった

和納の地名入り徳利。ほ、欲しい

技巧をこらした作品も

こちらは人型付き

アップにすると胸をはだけた女性か?男性か?