2020年1月21日火曜日

藤井聡子『どこにでもあるどこかになる前に。富山見聞逡巡記』(里山社)

どこにでもあるどこかになる前に。

藤井聡子『どこにでもあるどこかになる前に。富山見聞逡巡記』(里山社)を読みました。どこの地方都市も「東京的」な規格で、画一化と均質化を辿るなか、家業の薬局を手伝いながらミニコミ誌『郷土愛バカ一代!』を発行し、歪で、偏っていて、割り切れない、それだからこそ憎めなくて、愛おしい富山と出会い直した日々を書いた1冊です。

29歳目前の2008年の春、東京で編集の仕事をしていた藤井さんは、富山へと「都落ち」しました。それから出会い直した総曲輪ビリヤード、ドライブイン日本海、長屋界隈、フォルツァ総曲輪。そして、富山呑んべいの巣窟だった富山駅前シネマ食堂街や富劇ビル食堂街での出会い。そして、別れ。

いつくしむようなその日々からは、東京でも「日本のスウェーデン」でもない唯一無二の富山が十分すぎるほど伝わってきました。

藤井さんは活動や人脈に広がりができ、地元のテレビやラジオにも出演するようになります。そんなある日、かつて取材した店を訪ねたときのことをこう振り返ります。

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夫婦で五十年近くも守ってきた大切な城を、私は「珍スポットだ!」と騒ぎ立て、その場限りのネタとしてしか見てこなかった。街を書くことは、多かれ少なかれ、そこに生きる人々が懸命に積み上げてきた営みに、土足で立ち入ってしまうことである。自分が無自覚にしていることの暴力性を突き付けられた私は、喉の奥から罪悪感の塊が、怒涛のようにこみ上げてきたのだった。
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わたしも取材活動を通じて、書くことの暴力性を何度か感じたことがあります。どこまで踏み込んでいいのか、じぶんにその覚悟はあるのか、そんなことを考えながら取材をすることも多々ありました。取材とは生身の人と人の出会いであり、そこで生まれた言葉や記事は取材者だけのものではない、そんなことを感じながらわたしも雑誌の発行を重ねてきたので、とても共感する箇所でした。

カバーの裏面には手書きの富山市街のマップが描かれてます。これを頼りにいつか富山で呑んでみたいです。

本の詳細は里山社webへ:http://satoyamasha.com