中央公論 |
『中央公論』2019年11月号に掲載された池内恵「追悼 書き手としての父 池内紀の死」を読みました。
毎朝午前3時のきまった時刻に起きて仕事をはじめる「職人」としての姿を、分野は違えどおなじ書き手として最大限の敬意をもって記した文章でした。
恵さんは、SNSやトークイベントなど著者と読者とがつながりやすい時代となった一方で、父・紀さんの姿をこう捉えていました。
「父は読み手の一人一人の顔も名前も把握していなかったし、把握しようともしなかった。むしろ名乗りを上げてくる読者のことを忌避していた。書き手と読み手は直接顔を合わせるものではない。書き手は目をつぶって、まだ見ぬ読者に渾身の力で文章を投げる。それを匿名の読み手が、日々の生活の中でそれぞれに受け止めてくれることを祈る。この決して触れ合うことのない未知の読者との関係性こそが出版の醍醐味であり、そこに父は賭けていた。」
素晴らしい追悼文でした。