2019年11月2日土曜日

安吾の手紙

安吾の手紙

11月1日〜12月1日まで、新潟日報メディアシップ「にいがた文化の記憶館」で「坂口安吾と新潟日報」という展覧会がはじまりました。それにあわせて、11月1日付け『新潟日報』朝刊で、坂口安吾が兄・坂口献吉(新潟日報社2代社長)に宛てた手紙が掲載されました。敗戦から日本を立て直すのに新聞社が果たすべき役割を進言しています。

わたしはとくに3通目、1945年9月29日付けの手紙に共感したので、ここに一部を転載して紹介します。地方文化の確立に向けて新聞社が雑誌を発行してみてはと提案しています。その際に、どのような雑誌にすべきかまで具体的に書かれていて、わたし自身たいへん参考になる内容でした。

「要は容れ物の問題で、泥くさい容れ物に入れると、内容も泥くさく見える。特に新潟の人間は、自分の手近かな物を卑しむ考え方が強くて、自分の県人だと安く買い、遠いものほど尊重するような性格が強いのです。こういう県人に泥くさい容器で盛った御馳走をだすと先ず馬鹿にしてかかりますから、特に新聞や雑誌の外形を凝り、形式的に美しく出来上がっていることを先決条件とします。形式がととのっていると、一応馬鹿にしながら、内々は郷土の誇りも感じてくるので、こういう県人の性格に対して用意を忘れてはいけないと思います。
ですから、大衆雑誌など、週刊朝日よりも、むしろ朝日グラフ式なグラビヤの粋をこらし、写真を主にした題材ですと地方性も盛り易いですから一石二鳥で、こういう雑誌をだしてみてはいかがです。読み物を主にすると却って馬脚を現し易いです。」

「サッポロだの台北だのという植民都会に却って郷土文化が発達するのは外形の美を整えることを第一着手に出発したせいで、地方文化の確立に、先ず地方的泥臭さを主眼とすれば、もうそれだけで文化の発育はなくなるでしょう。
新奇なカメに酒を入れて、やがてユニックな美酒となるまで育てるように努めるやり方が大事ではないかと思います。
特に新聞社が一県一社となり、地方文化を一身に背負うこととなった以上、新聞の発行のみでなく、文化運動の総元締めとなって働く豊富を忘れてはいかぬでしょう。」

故郷への皮肉を込めながらも、しかし、新潟の復興、発展について具体的に考え、提案しています。

チラシ

なにか用事の際、わたしも直筆の原稿を見にいってみようと思います。