2019年10月15日火曜日

新潟市における台風19号の被害

先週末、大型の台風19号が日本列島に直撃しました。被害状況はいまだに広がりを見せています。被害に遭われた各地域にお見舞い申し上げるとともに、1日も早く平穏な生活が戻るよう願っています。

本日10月15日、新潟市議会は引き続き決算特別委員会でした。議会に行くと朝、危機管理防災局から「台風第19号に伴う対応(第3報)」という書面が配られましたので、そちらをもとに新潟市の状況をお伝えします。

10月15日8:30時点の情報ですが、まず人的被害はなかったとのことです。物的被害は倒木18件、ブロック塀(フェンス倒壊)3件、外壁屋根等の飛散5件、道路冠水3件です。

停電は最大で8,614戸。内訳は東区544戸、西区7,864戸、西蒲区206戸です。

台風が新潟市にもっとも近づいた10月12日には8:30〜、8区役所、14出張所等が自主避難所として開設されました。自主避難者は最大で214人。翌13日14:30に閉鎖されました。

西蒲区役所に問い合わせたら、西蒲区役所に13人、岩室出張所に5人、西川出張所に3人の方々が避難したそうです。ほとんどの方が12日から13日朝まで泊まり込みで避難されたそうです。

あの大風と雨、テレビをつけると伝わってくる各地の被害。不安な一夜を過ごされたことと思います。担当職員の方々もお疲れさまでした。

ただし台風が過ぎた後、大雨がもたらした危険がやってきました。13日7:20、阿賀野川(満願寺観測所右岸)に避難勧告が出されました。氾濫危険水位8.3㍍に達したためです。

対象世帯は北区を中心に16,439世帯、対象人数41,745人。北区内19ヶ所に開設された避難所に最大で1,169人が避難しました。計算してみると、避難対象者の0.02%が避難したことになります。

その後、水位の上昇はどうにかおさまり、同日15:00には避難勧告解除となりました。

以上が、本日、危機管理防災局から議員に配られた報告書の内容をわたしが意訳したものです。

以下は西蒲区の市民にとって大きな心配となった信濃川・大河津分水の増水についてです。

スマホに届いた緊急速報

13日10:00過ぎ、スマホに届いた緊急速報が上の内容です。長岡市寺泊、野積地区や燕市、弥彦村、そして西蒲区の住民に届いたのでしょうか。どこまでの範囲で届いたのかはわかりません。

信濃川・大河津付近で氾濫のおそれがある、との内容でした。

国土交通省信濃川河川事務所が13日13:00に記者発表した【第4報】によれば、12:00時点で大河津分水の水位は16.61㍍。氾濫危険水位の16.10㍍を50㌢越えていました。

SNS上にも、たまたま通ったのか...、見に行ったのか...、見たこともないような濁流が押し寄せる大河津分水の映像が投稿されていました。

阿賀野川の水位が上がり北区には避難勧告が出されたが、西蒲区は大丈夫なのか。新潟市からの発表はありませんでした。

大河津分水から西蒲区まで20㎞前後。不安のなかインターネットで水位を追っていると、小康状態が続き、しだいに水位は微減していきました。

おなじく西蒲区役所に市民からの問い合わせ状況はどうだったか確認しました。「危機管理防災局は大丈夫だとのことだったので、問い合わせのあった市民にはそう伝えました。岩室地区の住民からの問い合わせがいくつかありました」と。

大河津分水路建設前の話ですが、1896(明治29)年7月 、信濃川の「横田切れ」では現在の大河津分水近くで破堤し、西蒲区、西区まで浸水しています。 死者は75人、流失家屋は25,000戸です。西区槇尾の宝光院には、災害の記憶を伝えようといまも当時の浸水高2.4㍍を示す看板が設置されています。

大河津分水建設計画はこの横田切れがひとつの契機となって進んだのです。先人の途方もない労苦と治水土木技術の恩恵に思いを寄せずにはいられません。

今回は信濃川・大河津分水、阿賀野川・満願寺の氾濫は免れましたが、災害はこれからも多発することが予想されます。自治体や自宅の防災体制をあらためて見直す機会にしましょう。