2019年10月27日日曜日

越前浜発祥の地「宮之平」へ

宮之平へ

先日、西蒲区越前浜発祥の地を訪ねてきました。角田山山中にそれはあります。

時は戦国時代に遡ります。1573年、越前の国(現在の福井県)を治めていた朝倉義景は織田信長との戦に敗れます。その後、生活に困窮した朝倉の家臣らは各地に散らばりました。

1578年頃、小橋屋村(現在の福井市両橋屋町)の住民の一部は三隻の舟に乗って当地を逃れました。一隻は途中で沈没。もう一隻は佐渡へ漂着。最後の一隻がたどり着いたのが越後の国・角田岬だったと伝わります。この地に降り立った理由は、鶏の鳴き声を聞き、人家のあることを知ったことにあります。

はじめは海岸近くを生活拠点にしたものの、その後、角田山山中標高100㍍ほどの平坦な場所に移りました。その場所が「宮之平」と呼ばれています。

越前から移り住んだ人びとは鶏に命を救われたことから、鶏を祭神とする「鶏之子神社」を建立し、祭るようになりました。親しみをこめて「鳥の子さま」とも呼ばれます。

その後、鶏への信仰心から、昭和20年頃まで鶏肉や卵を食べなかったそうです。かつて当地に多くいた「毒消売り」の女性も、出稼ぎ先で鶏肉や卵を食べなければいけない機会があると、郷里の家族に手紙を書き、鳥の子さまに許しをいただいたとも伝わり、その信仰心の篤さがわかります。

社殿はすでに現在の越前浜集落内に遷宮、移築されています。1921(大正11)年には天照大神が祭神となり、神社庁の登録となりました。

以下に写真で道中を紹介します。

角田地区コミュニティセンターから歩いて
直売所・かくだ村の裏から山中を20分ほど登ります
社殿が見えてきました
みんなで参拝

その後は妙光寺、岩屋を巡って解散となりました。

角田山・妙光寺にある岩の題目
岩屋

角田コミセンで解散したあと、ひとりで現在の鶏之子神社に参拝してきました。

参道
狛犬が鶏でした

補足でもうひとつ。越前から最初に逃れてきた人びとは七人衆(または八人衆)とも呼ばれ、金子、小川、早見、篠沢、鈴木、斎藤、鵜(浅井の臣)などの家だと伝わります。

以上、長倉勲『越前浜発祥の概要』(角田地区コミュニティ協議会)を参考にして紹介させていただきました。

越前浜は現在279世帯・約700人が暮らしています。移住促進の取り組みを先駆的に続けてきた地域でもあります。また、越前浜では越前・越後の市民交流活動も行っているとのこと。

歩けば歩くほど、地域に眠る意外な歴史の巡り合わせを知ります。

今回はまちづくり学校の主催事業「ブラニイガタ」の番外編に同行させてもらいました。お声がけいただいた和田一良さん、資料をいただいた山下利論己さん、ありがとうございました。