2019年7月13日土曜日

間瀬大工の仕事が残る法圓寺(弥彦村)へ

法圓寺の山門と鐘楼、奥には弥彦神社大鳥居
法圓寺参道
高い彫刻技術
鐘楼

先日、西蒲区新谷の「間瀬宮大工資料館」に行った旨の投稿をしたら、「うちの寺にも間瀬大工の仕事が残っている」と連絡をいただきました。

弥彦村矢作にある法圓寺の梨本雄哉さんでした。早速、7月12日14:00〜、寺を訪ねて山門と鐘楼を見学させていただきました。

聞くと、間瀬大工の「篠原嘉左衛門」が棟梁として普請にあたったものだそうです。山門は1854(安政元)年、鐘楼は1856(安政3)年に燕市吉田の今井孫兵衛の寄進によって「改築された」と伝わります。

その時点で「改築」のようですね。新築はいつだったのでしょうか。

それにしても150年の時を経てもなお、堂々とした風格と意匠に惚れ惚れしました。

じつは2017年に岩室地区公民館が主催した「アンコール・ふるさと講座 近郷の間瀬大工彫刻の遺構を訪ねて」にわたしも参加して、勉強していましたが、この「篠原嘉左衛門」一族は間瀬大工の中心的な大工でした。嘉左衛門という名を代々継いでいたようです。

石川県の本誓寺、燕市吉田の吉田諏訪神社などにその名を見ることができます。

2018年8月には新潟日報『おとなプラス』で、福島県檜枝岐村の歌舞伎舞台を取材しました。この歌舞伎舞台を建てた込山七蔵(七造)もまた嘉左衛門の元で修行を積んだ大工です。

パソコンのハードディスクを遡って、蔵出し写真を2枚。

檜枝岐の歌舞伎舞台
檜枝岐歌舞伎、開演直前の様子

いつかなにかの媒体にまとめられるような時間ができたら、その足跡を追って書いてみたいです。

いつだろうか...。

日々の雑記として、せっかくなので同じ日のその後の流れを書いておきます。

同日16:00〜は西蒲警察署署長の渡邉元さんを訪ね、住民から寄せられた相談について、申し入れを行ってきました。間瀬地区は夏場になるとジェットスキーをやる人が来ます。ただ、中には海岸で寝泊まりして、夜明けとともにジェットスキーをやる人もいるようです。民家から近い場所では住民が、その騒音で目を覚ますこともあります。警察からもぜひ注意してみてもらいたい旨、お伝えしてきました。

この件に関しては、さきに西蒲区役所産業観光課の渡部博子課長にも相談して、市としてなにか規制や対策はできないか調べてもらいました。お忙しい中、関係部局にあたっていただきました。

ほんとうにありがとうございました。

また、同日18:30〜は「令和元年度 地域懇談会 和納小学校を語る会」に参加してきました。PTA常任委員をやっているので、保護者としての立場からの参加でした。

松井裕美校長から学校の運営方針について説明があった後、登下校を見守っていただいている地域の「セーフティスタッフ」の方々と危険箇所の安全確認を行いました。

子どもの登校時、オレンジ色のジャンパーを着たスタッフが付いてくれているな、とは思っていましたが、実際にどんな思いで、どんな体制で見守り活動をやっていただいているかを知れてよかったです。

危険な用排水路はどこか、交通量の多い交差点にスタッフが不足している、挨拶ができない子が多いよ、自治会では防犯カメラの設置も検討している、など教えていただきました。

地域の方々がいかにあたたかい目で、子どもたちを見守ってくれているのかを知ることができました。

あらためて感謝します。

いつもありがとうございます。